南政善画伯

 

志賀町が生んだ偉大な画家南政善の生誕100年記念展が志賀町図書館で開催されています。(H20.10.24〜12.26)

 

 

 酒を愛し、人に愛された画家  南政善

明治41年(1908)5月3日志加浦村川尻(現志賀町川尻)に生まれ、東京美術学校(現 東京芸術大学)で藤島武二に師事。

昭和9年帝展初入選、昭和14年・16年新文展で特選、昭和40年日展文部大臣賞受賞

 

  

昭和35年光風会で最高賞の

ムートン賞を受賞した「マントの男」

 

 

人の姿に時代の流れを感じ、

新鮮味のある”人”を描き続けた。

 

「緋いサリー」  以上3点は志賀町文化財

 

「父の像」

 

まるでモジリアニ

 

 

政善にしては珍しい風景画。とても味があり、もっと描いて欲しかった。

政善が使っていたパレット

スケッチブックや画材

 

政善が麹町区飯田町3の5 北州館に下宿していた頃、郷里の5人で撮った写真

 

 前列右より、南政善(20歳)、坪野哲久(22歳)、田中孝男(20歳)、後列右より細川寿夫(18歳)、阿部文夫(20歳)

 

 政善は羽咋中学校時代に同級生と文芸雑誌を発行し、絵画のみならず短歌の創作も行っていたという。プロレタリアート歌人坪野哲久が参加していた短歌雑誌「ポトナム」に政善も参加したようだ。

 

 志賀町立図書館の田端館長より、「政善の娘さんである志賀子さんが東京から今回の記念展に訪れられ、次を説明された」と聞いた。

 東京美術学校で野口駿尾に認められ、その次女多嘉子と結婚する。

 奇しくも駿尾の父 之布は加賀藩士であり、地縁を感じる。

 ちなみに、駿尾の兄 遵は旭化成の創設者、多嘉子の姉 妙は鹿島建設社長の縁戚の方と結婚、といった名門だそうだ。

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