戦後日本陸上競技会に不滅の足跡を残した志賀町大島出身の陸上選手 (志賀町史より)
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昭和5年 中甘田村大島に生まれる 昭和18年 中甘田小学校から県立羽咋中学校(現在の羽咋高校)に進学 昭和20年 海軍甲種飛行予科練習生として入隊 〃 終戦により羽咋中学に復学 南武典、板尾秀二の指導およびロサンゼルスオリンピックに出場 した羽咋高女の教諭広橋百合子のアドバイスを得て本格的に陸上 競技を始める。 昭和21年 県中学校総合体育大会1500mで二位入賞 昭和22年 全日本中等学校陸上(京都西京極)で800m二位 昭和23年 全日本高校選手権 800mで優勝 昭和24年 各大学からスカウトされたが、菊池・牧野という中距離の大先輩の いた中央大学に進学。 |
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昭和26年6月30日 神宮競技場で行われた全日本東西対抗の800mで 1分53秒8の日本記録を樹立して優勝 青地選手の持つ記録を17年ぶりに更新 戦後の日本陸上競技全種目を通じて最初に誕生した日本記録
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昭和26年7月16・17日に戦後初めて行われた日米陸上東京大会 1500mに出場し、3分55秒8と14年ぶりの日本記録を樹立 1位ドリューツラー、2位室矢芳隆 同年7月29日の日米対抗九州大会、8月16日の宮城大会の800mで 日本記録更新 |
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昭和27年ヘルシンキオリンピック出場 800m1分54秒の記録で予選落ちしたが、オリンピック前後に ストックホルムのスウェーデン国際競技の800mで優勝 フィンランドのハラチ国際競技800mで1分52秒7(日本記録更新)で優勝
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昭和28年 関東大学駅伝(箱根駅伝)で区間新記録を立て中央大学優勝 〃 八幡製鉄入社 昭和29年 フィリピンマニラでのアジア大会800m大会新記録で優勝 |
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昭和31年 オリンピックメルボルン大会に出場 800mを自己最高の1分52秒3の記録で通過、準決勝で敗れたが、 日本中距離界としてはオリンピック史上最初の予選通過者 1600mリレーにもアンカーとして出場し日本記録を樹立 |
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昭和33年5月 東京国立競技場で開かれたアジア大会に出場 800mで1分52秒1と自己最高記録を樹立して優勝 1600mリレーでも優勝し、室矢の選手生活引退の花道を飾った。 「サラブレッドを思わせるような軽い足取りで日本チームのアンカー室矢が勢いよくテープを切った。”ワー!”8万の大歓声が怒涛のように脈打った。お家芸のマラソン・三段跳びに金メダルを逸した日本チームがすべてをかけた1600mリレーに見事優勝し、陸上の華やかなフィナーレを飾った一瞬である。室矢のところへ武者ぶりつく赤木・大串・林 どの顔も汗と涙がくしゃくしゃになっている。ありがとう、ありがとう、振り返りながら思い出したようにファンの歓声に応える選手の顔は印象的だった。」 |
リンク |
室矢さんを迎えた羽咋高校マラソン大会2008.10.21 http://www.cnh.ne.jp/hakui/2008/10/post-55.html 中央大学における記録 http://www5a.biglobe.ne.jp/~fuji-tnk/athelete/legend/sengo1/muroya.html 八幡製鉄では君原(東京、メキシコ、ミュンヘンオリンピック出場)の先輩 http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0101/ekiden/rensai_9.html |