志賀町の、能登の、石川県の、そして日本の守り神として崇められて来た高爪山山頂の高爪神社。
湖月館の畑中寛治氏よりお借りした史料により由緒を紹介します。
海から見た高爪山 能登富士とも呼ばれます。 奈良時代には渤海船が、江戸時代には北前船が入港の目印として、航海神と崇めて来ました。 |
地元、大福寺では高爪山を神と崇めて、 岳と称し、登山道の入口に鳥居を設置しました。 (能登半島地震で倒壊し、今はありません。) |
山頂の高爪神社(能登半島地震前) |
同左(地震後) |
国重要文化財に指定されている木版彩画の縣仏 (高爪大明神)。6面ある。鎌倉時代(1275) |
県重要文化財に指定されている 木像薬師如来坐像 鎌倉時代 |
木像随神像 胸に梅鉢(加賀家の紋)が見える |
前田利家は11面観音像を寄進し平安を祈った。 その像は現存せず、宝永7年(1710)に再造された。 |
前田利家直筆の書状。 (志賀町重要文化財) わざと人をまいらせ候・・・きのうお山より申こし 候にて・・・御きねんの事頼申候・・・利家 (秀吉様に呼ばれて急にあす上洛する。 ついては『よきようにご祈祷』を頼む) |
高爪神社に安置されている前田家の位牌 左より松雲院(綱紀)、微妙院(利常)、瑞竜院(利長) |
昭和54年に石川県立郷土資料館の春季特別展 〜富来の歴史と文化〜高爪山と福浦港が 開催された。これはその図録。 |
明治35年3月4日県社に列格され、 同年12月に高爪神社誌が 畑中寛政氏によって編纂された。 |
日清日露戦争で活躍し陸軍大将になった 秋田出身の大嶋久直が書を寄進している。 |
明治35年は日英同盟が成立し日露戦争2年前。 県知事村上義雄は時代を象徴する書を寄進している。 |
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