末吉城(城山)

末吉城は七尾城(守護大名畠山氏)の出城として、堀松庄の末吉村に、応永年間(1394〜1427)に創築され、応仁の乱(1477)後に完成された中世城郭です。

眉丈山系北端の独立丘陵に位置し、広大な福野潟と米町川の要害を利用して築かれ、能登外浦街道の浜街道と中道通、安津見から奥山峠を越えて田鶴浜に通じる土田街道、吉田から七尾西湾の大津に通じる得田街道を押さえる重要な役目をする城郭でした。

応仁の乱後、帰国した畠山義統は、能登国を防衛するため末吉城を完成させるとともに、能登町に松波城、七尾市に西谷内城を築きました。

末吉城の城主(城代、守将)として、能登畠山家臣の平(へら)氏(手筒氏)、河野肥前、松波丹波守義行、前田利家重臣の中川家範の名前が見えます。

 

 南北580m 東西460mの城郭 

 

大手門跡には西来寺が建っています。

 

 西来寺の梵鐘は志賀町の有形文化財です。

 

境内の奥に城跡への登り口があります。

 

馬を訓練した馬場跡は竹林になっていました。

 

 かつての井戸跡近くに休憩所が建っています。

 

180m×335mと巨大な城郭のあった場所

 

 この先標高53mの高台に狼煙台があったそうな。

 

 能登外浦街道の浜街道と中道通がよく見える。

 

 

 

 

 土田街道は天文23年(1554)に七尾城の内乱で遊佐続光と5千人の軍勢が往来し、また天正4年(1576)には上杉謙信が1万人の軍勢を率いて七尾城を攻撃する際に通った戦国の道でした。

得田街道は永禄2年(1559)、七尾城の内乱(仏木合戦)で温井氏が通った軍道です。

さらに奥に進みます。

 

家族でピクニックに来ると楽しそうですね。

20分くらい歩いてようやく下り坂です。

末吉城と城主の守護神 高宮(白山宮)

城址の守護神が残っているのは珍しいそうだ。

中世の神仏混淆の山岳密教系寺院の名残

菊理姫神社と観音堂

観音堂の仏様が安置されている光念寺

珍しい形のお墓?

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