羽咋の国
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平城宮跡の発掘調査で発見された木簡には羽咋郡の記載が見られる。
越中国羽咋郡都知郷(つちのさと)・・・ 越中国羽咋郡中男作物鯖百隻
羽咋郡の下に8つの郷(2千人位の人口)が置かれていたと考えられている。(志賀町史P115富田説)
荒城郷;富来 都知郷;土田 岡本郷;加茂 神戸郷;甘田 邑知郷;邑知潟南岸 羽咋郷;羽咋 高家郷;押水北庄と志雄庄 大海郷;押水庄 |
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律令制度に組み込まれた庄園 古代の郡郷制から、中世になると庄・保・院・村という領有単位に分割された。 土田庄は山城国(京都)賀茂別雷神社の社領として成立した。 保元元年(1156)寺社領庄園に対する規制強化により賀茂神社領が削減され、残りは皇室領とされた。 |
矢駄の加茂神社
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平安時代後期の保延二年(1136)、同庄の守護神として上賀茂神社の御分霊を勧請し創建された。 |
加茂神社の境内にある馬の銅像
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京都の賀茂神社の賀茂競馬には 全国の庄園からの馬が参加した。 |
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世界遺産に認定された上賀茂神社で行われる賀茂競馬のホームページを見ると、能登国土田庄から出馬していることが分かります。 |