福浦港の北前船

 

 

 北前船は江戸時代から明治の初めまで、米や昆布、などの物資だけでなく、民謡や輪島塗などの文化も運んだ。

 下り航路は3月下旬頃に大坂を出帆し、瀬戸内海・日本海経由で、途中商売をしながら北上、5月下旬頃、蝦夷が島(北海道)に到着した。

 上り航路は7月下旬頃、蝦夷が島を出帆、再び航路上の寄港地で商売をしながら南下し、11月上旬頃、大坂に到着した。

 

 福浦港には、時化を避けるため、逆に無風の時には風を待つため、時には海難を避けられると言う猿田彦神社の霊水を入手するため、あるいはなじみの遊女に会うため、多くの北前船が訪れた。

 猿田彦神社に奉納された1830(天保元年)から明治42年までの絵額31面は昭和53年に町指定文化財に指定されているが、その中でも1862(文久2)に描かれた福浦港全図は当時を知る貴重な風景画だ。

 

 福浦港は天然の良港であると共に、北前船を受け入れるための施設も多く整っていた。 まずは、日野家が守り続けた日本一古い灯台。

 1608年(慶長13年)に日野資信が持ち舟の安全を図るため、福浦港口の高台の岩場で篝火を焚き目当てとしたところ、無事入港できたことが燈台の始まりとされ、これが自他の船方に喜ばれ、日野家の家伝になった。

 日野家は1653年(承応2年)に能州郡奉行より正式に灯明役として命ぜられ、1692年(元禄5年)に石垣を築いて灯明堂を建設し3月から10月まで毎晩灯明を灯したという。

 明治9年10月には木造四角型灯台が新築されたが、日本最古の木造灯台として昭和40年に県文化財に指定されている。

 

 北前船を留めるために、福浦港に現在でも残っている、岩をくりぬいた「めぐり」という係留設備が30数箇所も残っている。

 港内で係船する場合も錨が不要で、めぐりにロープを通して利用した。

 福浦は耕地が少なく年貢米が納められなかったため、福浦港に入港した船からめぐり銭を取り立て、年貢米の代わりに金納していた。

 他にこのような施設は知られておらず、昭和49年に町指定文化財に指定されている。

 

 日和山には福浦灯台と共に、航海の安全を祈願する金比羅神社が奉られているが、その前には1847年(弘化4年)に船頭佶平が寄進した「石造方位盤」が設置され、方角を示す12子が刻まれている。

 船頭たちは、日和(天気の具合)を見るために日和山に登り、金比羅様に航海の安全を祈ると共に、風の方角を確認し、出港の日を決めたのではないだろうか。

 現存する方角石は極めて稀であり、昭和49年に町指定文化財に指定されている。

 かつては港に遊女はつきものだった。福浦では遊女のことを「ゲンショ」と言い、日和山の続きのタングワ(口紅を付けた女のこと)地区に20人から70人いたそうな。

 船に乗り込んで出港間際まで、別れとうないと泣いて離れず、船頭は止む無く大金を渡して港へ帰したゲンショもいたという。

 猿田彦神社の裏祭り(タングワ祭り)ではゲンショが打ち揃って美装仮装を凝らし、太鼓三味線で囃しながら手踊りなどを奉納したと言う。

「能登の福浦のこしまき地蔵はけさも出船をまたとめた 野口雨情」で有名な腰巻地蔵。

 船頭喜多八と馴染みになったオイチというゲンショが、出帆していく喜多八を引止めたい一心に、地蔵様に腰巻を打ち掛けた所、海上が時化って船頭喜多八は帰港を余儀なくされ長逗留した。これが噂となり、ゲンショたちが馴染み客を逗留させようと自分の腰巻を地蔵様に被せたという。

 石地蔵の後ろの石材にかつては地蔵が彫ってあったそうだが、今はもう風化して識別は出来ない。

 腰巻地蔵は越後の船が嵐にあい、福浦港に入港間際に遭難したため、出身地の遺族が越後石に地蔵像を刻み、供養と航海の安全を祈り、出身地の方向に向けて建立したものと言う。

 北前船は一航海で千両の利益も揚げる宝船だったが、「板子一枚下は地獄」という危険な航海でもあった。

 船頭たちは金比羅神社に航海の安全を祈願し、絵馬を寄進したが、殿内には1847年(弘化4年)から明治期にかけての船絵馬29面が奉掛されており、昭和53年に町指定文化財に指定されている。

 旧灯台より腰巻地蔵に通じる遊歩道の途中の海側にある極楽坂には、航海中に亡くなった北前船乗員、難破して漂着した人、身元不明の遊女たちなど数百人が埋葬されている。

 昭和61年から平成元年に掛けて福浦地区の皆さんによって整備され、改めて弔うと共に墓地公園として手入れされている。《合掌》

 福浦港で「めぐりはどこにありますか」と聞くと、「北前船の関係だったら瀬戸松之さんに聞くと良い」と言われ、お宅を訪ねた。

 突然訪問したにも拘らず親切に教えてくださり、初めて会った私に資料も貸していただいた。

 このホームページで福浦に関することは、瀬戸さん達が編集された次の本を参考にさせて頂いた。

  「客人の湊 福浦の歴史」 平成3年

  「福浦ものがたり」 平成16年