4 安宅の関 版画 中村仁

  

 

 義経の行方が分からないので、頼朝は国々に関所を作り旅人を厳しく取り調べました。

 義経たちは山伏姿になり、安宅関(小松)にさしかかったのが文治二年(1186年)の3月頃。

 一行は東大寺の寄付集めの僧と言っていたのですが、関守富樫は怪しいと思い、勧進帳(寄付集めの帳面)を読むように言いました。

 弁慶はとっさの機転で、ありもしない勧進帳を読み上げると共に、義経を金剛杖で打ち据えました。

 富樫は義経主従の心に同情し、一行を通過させてやったと言われます。