義経伝説

 

 

志賀町には稀有壮大な義経伝説が残っている。頼朝に追われて奥州に行く途中に寄ったのだろうか?

 

高爪山  

義経が旅の安全を祈願して山頂の高爪神社で祈ったと言われている。

高さは341mだが、形は富士山そのものであり能登富士と呼ばれる。   

 

 

一太刀岩  

 

関野鼻には義経と弁慶が力比べをしたという一太刀岩、二太刀岩が残っている。

 

残念ながら能登半島地震で形は変わってしまったが、他にも同じような岩がたくさん残っている。

大河ドラマ「義経」  

関野鼻は1966年の大河ドラマ「義経」のロケが行われた地でもあり、原作・脚本を手がけた村上元三の記念碑がある。

「義経の 行方も知れず 波の花」

 

義経の船隠し  

義経主従が、頼朝の追捕を逃れ、能登を通って奥州平泉に逃避行する途中、海難を避けるため、能登のこの関ノ鼻付近の海岸の絶壁の岩の間に、48艘の船を入れ、難を避けたと云われている。

 

碁盤岩  

 景色が素晴らしいため、義経主従が上陸し碁を打ったと云われている。

義経は何度打っても弁慶にかなわず、怒って碁盤を投げつけたそうな。また碁盤島にある池の中には碁盤型の岩の塊がある。

 

お産の井戸  

義経の愛妾がここで難産した時、末代まで産婦を守ろうと誓願を立てたところから、安産の守り神となりました。

 

ひっぱり餅

弁慶が旅の携行食にと餅を作るのですが、蒸し上げた餅米を杵でつかず、その自慢の剛力でこねてはひっぱり、こねてはひっぱり、「不動滝」の水を振りかけてさらにひっぱり、薄くひろげ、乾燥させたものを携え、義経一行は再び出発します。これが、この地方に伝わる「ひっぱり餅」の由来となりました。

 

 荒木海岸の義経伝説

荒木の海岸にも義経の隠れ穴や馬の爪跡といった伝説の岩があったそうです。義経は、この荒木海岸で、

 「義経の 身のさび刀 とぎ(研ぎ・富来)に来て あらき(新木・荒木)の鞘(さや)に 入るぞかなしき」

と詠んだとも云われています。 

リンク 石川能登への日帰りhttp://mizucchiblog.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/200055-ff72.html

    石川の義経伝説 http://www.hot-ishikawa.jp/page/yoshitsune/

         富来の義経伝 http://shikamachi.info/rekisi/yositune/yoshitune.htm